湖東事件再審で無罪判決 冤罪を生む原因は何か
17年前、滋賀県東近江市の病院で患者が死亡したことをめぐり、殺人の罪で服役した元看護助手の女性の再審=やり直しの裁判で、大津地方裁判所は31日、無罪を言い渡した。裁判長は刑事司法の過ちに触れ「警察、検察、弁護士、裁判官、すべての関係者が自分の問題として捉えるべきだ」と述べた。
引用:NHKニュース 患者死亡裁判 元看護助手の女性に再審無罪判決 大津地裁
─ YODOQの見方───────────────────────────
今回の判決の決め手は当初の自白の信用性を否定することでした。各メディアが報じた内容には「密室での取り調べに問題があるので、取り調べの記録をもっと残すべき」「証拠の開示が不十分なため再審が長引いたことが問題」などの意見があります。
最新の脳科学の研究では、人間の認知や記憶のあやふやさを裏付ける研究があります。
ある科学者が暴行事件の犯人として、被害者本人から指名されましたが、当人はTV出演していたためアリバイが成立しました。
このとき被害者は嘘をついていたのではなく、本当に犯人はTVに映った科学者だと思い込んでいたようです。
かつてアメリカでDNA鑑定が実用化された際、過去の事件に遡って鑑定調査を行いました。こうして冤罪事件と認定された有罪判決のうち、70%が目撃証言によるものでした。
凶悪犯を追う捜査官が暗がりで人影を見つけるとき、実際には存在しない銃を持っていると錯覚することもあるそうです。
裁判での「武器を持っているのを見た」という証言は嘘ではなく、本人の視覚では実際に銃を認識していたことになります。
このように、人間の認知はある条件下ではとんでもない間違いを犯す可能性があり、客観性を持たない証言は裁判の証拠として役に立たないケースが多数あるようです。だからといって証言を全く信用しない裁判が成り立つのか・・・まったく想像できません。
法学、特に刑法は法解釈の一貫性を重視し、「変わらないこと」を目指していると思います。判断の土台となる証拠の信用性が科学により大きく変化した場合は、変わらざるを得ない面もあるのではないでしょうか?
参考図書:
情動はこうしてつくられる―脳の隠れた働きと構成主義的情動理論
──────────────────────────────────
■備考
判事の一貫性も当てにならないという論文がありました
空腹は決断を誤らせることは本当でしょうか? 空腹は裁判における判決に影響する