御堂筋側道、万博にらみ開放大阪市など構想公表
大阪・御堂筋の将来像を検討する「御堂筋完成80周年記念事業推進委員会」(委員長・吉村洋文大阪市長)は30日、自動車専用の側道2車線を歩道として開放する案を公表した。
吉村市長は「車から人中心の通りに変え、世界と張り合える都市にする」と強調。2025年の誘致を目指す国際博覧会(万博)までの整備完了を目指し、18年度に具体的な計画を策定するとした。
引用:https://r.nikkei.com/article/DGXMZO28838970Q8A330C1AC8000?s=2
─ YODOQの見方───────────────────────────
名古屋の例をあげたいと思います。
名古屋の街の代名詞のひとつである地下街。メッカにふさわしく、その歴史は日本一。1957年3月、日本で最初の地下街が誕生したのが名古屋なのです。
名古屋で地下街が発達したのは、自動車優先で都市整備が進められたからと言われます。車が走りやすいよう100m道路をはじめとした広い車道が作られ、その分、人が渡るのに時間がかかるため、替わりに歩行者専用の地下街がどんどん広がっていきました。
その結果、どうなったかというと、地上の繁華街がどんどん廃れていってしまい、地上はオフィスビルが並んでいるだけという景観に変わっていったのです。
高度経済成長時代には、車中心の街作りが進み、人は地下にもぐっていきました。もちろん地下は雨も降りませんし、排ガス規制もなかった頃、比較的クリーンな空間でもあったわけです。
現在は、世界的なCO2の規制、環境に対する意識の変化によって、街中の環境がよくなり、「人が気分よく外を歩ける人間本来のスタイルに戻る」ことが可能になり、恐らく人もそれを望んでいるのではないかと思います。
その意味で、吉村市長の言われた「車から人中心の通りに変え」という発想は受け入れられやすいのではないでしょうか。
この先、変化していく大阪の街並みを、興味を持って見ていきたいと思います。